ぐへぐへ日記

ゲイがいろんな生き方を模索しながら書いているブログです。

ゲイの何が辛かったか【死にたかった】

f:id:guheguhe:20161115025057j:plain 昔のことを書いてみたいと思います。
ぼくは昔死にたいと思ったことがあります。
やっぱりゲイであることはとても辛かったです。

自分語りしますね。

学生の時のはなし

特に辛かったのは、学生の時だと思う。
その頃ぼくは夢を追っていた。 あるスポーツをやっていたんだけど、
他の人から見ても、自分から見ても、向いているとは思えなかった。  

それでも、ぼくは勝ちたかった。
自分の努力が足りなくて、もっとがんばれば、
夢に近づけると思っていた。
ただ、はっきり言って、客観的に条件を見ると、
ぼくが成功できる可能性はゼロに近かったと思う。

大学4年間を費やしていたけれど、 全然勝ち目はなかった。
全国大会に行くようなチームだったのに、
ぼくの努力の量も足りなかった。
練習は大変だったし、ヘマばかりだった。
毎日怒られていたし、4年になってからは怒られることもなくなった。
代わりに、みんながあまりぼくに関わらなくなったような気がする。

いや関わらなかったわけではなかった。 先輩後輩、仲間としては扱われていた。
同じ部活で、とても仲のいい先輩、後輩もいた。
ただ、ぼくは競争相手ではなかった。

難しい練習、高度な練習には必要とされなかった。
基礎的な練習はみんなと一緒にやっていたが、
試合が近くなり、強敵を想定した練習では、
ぼくは役立たずだった。 これは当時も今もぼくが思っている、
いわゆる客観的な事実だ。

つらい時は、逃げたくなる

この状況は、やっぱりとても辛かった。
ぼくはこの状況からはどうしても逃げたかった。

自分が、所属している集団で必要とされてない事実。
明らかにそれを認識してしまっている自分。
練習のたびに、思い知る、自分の無力さ。
代わりに、ぼくはみんなのサポートを進んでやった。
ただ、そのサポートも中途半端だったと思う。

ぼくはマネージャーのような仕事がしたくて入部したわけではなく、
選手として試合に出たかったから。

そうやって、選手としてもサポート役としても
グダグダだったぼくは、練習も試合も行きたくなくなっていた。
そんな状態ならやめてしまった方がよかったのかもしれないが、
ぼくは夢を諦めきれなかった。

ぼくは夢と現実の狭間で、どうにかこの苦しみから抜け出したいと思っていた。

恋愛に逃げたかった

それで、ぼくは恋愛に逃げたかった。
とても優しい先輩がいた。
すごくよくしてくれたし、色々教えてくれた。

わかりやすいと思うけど、ぼくはこの先輩のことが好きになっていた。
学生の時の部活動ってすごく一緒にいる時間が長い。
ほぼ毎日練習はあるし、2〜3時間の全体練習の後、
筋トレやミーティングで1〜2時間追加で費やすことも多かったし、
そのあと飯を一緒に食べに行くなんてことも多かった。

さらに、学年が近ければ、最高で4年間一緒になる。
それだけ会えば、仲良くもなる。

まして、チームスポーツはコミュニケーションが大事だ。
普段から仲良くしておくことは推奨はされど、
止められることは全然なかった。

ある飲み会の日、 毎回何人かが吐くような激しい飲み会だったし、 2人でそっと抜け出した時だった。

この先輩がぼくに対して大好きだ、と言ってくれた。

周りに人はいなくて、2人きりだった。
酔った勢いもあったのだろうけど、
今考えるとなぜそこまで好かれたのかよくわからない。

でも、この時は本当にうれしかった。
ぼくは恥ずかしくて、ただ一言、
そうなんですか。
としか言えなかった。
そのあとは、普通に飲み会に戻ってしまった気がする。
ぼくも結構酔っていたこともあって、よく覚えていない。

先輩は、ただ先輩としてぼくのことを
好きだったのだろうけど、ぼくはものすごくうれしかった。
数日間はそのことばかり考えていた気がする。
大学の授業にも身が入らなかった。
この先輩と一緒に練習できると考えただけで、辛さも吹き飛んだ。

こんな浮ついた気持ちでやっていたのだけれど、
こうでもしないと耐えられなかったのかなと
今では思う。

先輩が部活を辞めた

そうやって、1年とか2年とかが過ぎた。
ぼくは相変わらず先輩のことが好きだったし、
先輩とも仲がよかった。

ただ、部活の方はからきしだった。

ぼくののびしろの無さに、他でもないぼく自身が
一番気づきはじめていた。

練習の時間が近づいてくるたびにいやだいやだと思っていた。
成長してないことが露見するのが怖かった。
でも、練習を休んだりしたら、夢からどんどん遠ざかる。
だから、仕方なく練習に参加していた。

そんな時、先輩が部活をやめるという話を聞いた。
院進学のために研究に専念したいとかの理由だったと思う。
ショックだった。

ただ、好きな人と一緒に時間を過ごせなくなるということが 辛くて、悲しかった。

それから、ぼくは先輩に告白しようと思った。

なんどもなんども練習したし、
そもそも自分がゲイであることを伝えようと
何日も、うまく伝わるような言葉を考えた。
メールの文面で下書きを書いては、
ただその下書きを書くことでさえ怖くて、
下書きも削除した。 下書きを書いている時でさえ、胸がドキドキした。
ぼくはノンケの人にカミングアウトしたことがなかった。

先輩が部活を去ったから、
先輩に会えるタイミングは少なくなっていた。

ぼくから連絡することは少なかったので、
先輩が遊びに誘ってくれるときや、
部活での飲み会にOBとして参加するときくらいしか会えなくなった。

その日は特に先輩と待ち合わせをしたわけでもなかったけど、
なんとなく、どうしても会いたかった。
いや、会える気がした。
カミングアウトして、告白する言葉もほぼ決まっていたと思う。

だから、先輩がいるはずの研究棟の周りをウロウロしてみたり、
先輩が帰りそうな時間までまったりした。
もちろん、ヒョッコリ先輩が現れるなんて、
そんな偶然はなかったので、
ぼくは家に帰ることにした。

どうせ今日は会えないと思いながら、家でぼーっとしていると、携帯の着信音が響いた。

まさかないだろうと思いつつも、携帯を開いてみると、
なんと、先輩からメールが来ていた。
今日これからうちで遊びたいとのことだった。

ものすごい偶然だと思い、早速OKの返信をした。

それからしばらくして、先輩がうちに遊びに来た。
研究の帰りだと、先輩は言った。

透明な膜に気づいてしまった

その日、ぼくは先輩と普通に遊んだ。

部活を辞めてしまってから、話す機会が減っていたので、
先輩は、研究室が大変だとか、色々話してくれた気がする。

結構な田舎で、
ぼくのアパートは田んぼに囲まれていたから、
少し歩くだけで、真っ暗な中に2人きりになった。

川が流れていて、虫がたくさん鳴いていた。
街灯が少なかったので、とても暗くて、
空にはたくさんの星が見えた。
あの頃は、オリオン座がよく見えた。
田んぼのまわりのあぜ道なので、周りには全然人がいなかった。

タイムスリップができたら、どの時代に行きたいとか、
そんなくだらないことも話した。

あまり話してはくれなかったけど、
先輩もこの時期行き詰まっていたんじゃないかと思う。
院に進学するかしないか、進学したら就職が2年遅くなる。 そして、そのために部活も早めに辞めたのだ。
生活の変化、将来に対する不安、部活を辞めたことが正しかったかどうかの確信のなさ。

ガス抜きにぼくにあってくれていたんだろう。

そうやって色々なことを話した後、
夜も更けて、先輩は帰っていった。

ぼくは大事なことがどうしても言えなかった。

先輩がぼくの家を出て、何十秒かたった後、
ぼくは間違いをおかした事に気がついた。

あわてて玄関を出て、追いかけたけど、
先輩はもうすでにいなかった。

ぼくはこの時気づいてしまった。
自分が好きな人に思いを伝えるためには、
二重の壁を突き破らなければいけないこと。

ゲイであること、男であるにも関わらず相手を好きになってしまったこと。

このどちらも伝えないといけないという事に気づいてしまった。

この時から、ぼくはぼくのまわりに何か透明の薄い膜みたいなものがあるような気がするようになった。

ぼくの見ている世界と、ぼくのまわりの人が見ている世界はかなり違うんだということを、
はっきりと実感するようになった。

死にたくなった

そして、ぼくは夜よく眠れなくなった。

病院でカウンセリングを受けてみたけど、
あまり意味がなかった気がする。

カウンセリングをする人は、話を聞くのが仕事だ。
それで傷が癒える人がいることも確かだけど、
ぼくの場合は、傷を癒やすというよりかは、
自分を受け入れなければならなかったから。

だから、カウンセリングの人と話しているときは、
まるで鏡に話しているみたいで、何してるんだろう
という気になった。

あまり意味が感じられなかったから、カウンセリングは
一回しか行かなかった。

そうして、 部活での無力感、
好きな人にさえ自分の気持ちを伝えられない無力感で、 ぼくは何もする気がしなくなっていった。

うつ病とまでは行かなかったけど、
ただ何をするのも億劫だった。
少しずつ、いろんなことをやる気が失われていった。
どうせダメだという気持ちに飲み込まれていった。

ぼくはこの頃からどうせゲイだから、という安易な考えを持つようになった。

ゲイだからあれもダメだし、これもダメだと思うようになった。

彼女がいないことで、バカにされたりするのも本当に悔しかった。
そういうことも、どうせゲイだから、と思う気持ちを強くさせた。

将来子どもを持つことも難しいだろうということが、実感されるようになってきた。
そういうことも、辛かった。

この頃、少しずつ、ぼくはどうやったら死ねるのだろうと考えるようになっていた。

そして、その回数は日を追うごとに増えていった。